佐世保殺人事件とメディアの責任

最近、長崎県佐世保市で、高校一年生が同級生を殺害した事件を考えると、1997年の神戸連続児童殺害事件の当時14歳の少年を思い出します。このふたつの事件は、おそらく邪気に憑かれた状態が引き起こしたものでしょう。

 

佐世保の少女はカウンセラーにかかっていましたが、その人には邪気を見分ける能力もなく、処理する方法も分からなかったと思われます。

 

なぜ、こういうことが起こるのでしょうか?

 

まず、ゲームには殺伐としたものが多く、ゲームをしていると人の苦しみに無関心になり、現実と非現実を混同してしまう感覚になり、残酷な出来事が日常茶飯事になります。残酷なことになれてしまうと、刺激がなくなり、さらにエスカレートします。

 

佐世保の事件の場合も、小さな動物を虐待・解剖していたことが、ますますエスカレートして、今度は人間に及んだと考えられます。

 

大人の場合は、途中で、「これはいけない」と目覚めますが、子どもの場合は、目覚めないのです。善と悪の判断はわかってはいるけれども、邪気がさらに興味をもつように彼女を押してくるのです。

 

それから、メディアの影響もあります。TVや漫画、映画などの殺人シーンをたくさん見る機会が今の子供たちには有ります。内容の検閲が必要なのではないでしょうか?

 

イギリスでは、1960年から1980年ぐらいまでは、メアリー・ホワイトハウスが検閲を導入しようとしたが、かなり反発があって、結局水の泡に終わってしまいました。その中には

性や宗教に対する冒とくも含まれていました。

 

とにかく、佐世保同級生殺害事件はマスメディアの責任もあるでしょう。

 

現代、邪気に憑かれている人は全人口の3割と言われています。こういう風に考えてみましょう。白い長いドレスを着て、邪気で裾が少し汚れている人は25%ぐらい、膝までは3%、腰までは1%、それ以上の人1%は自分で闘っているのですが、助けられない場合は上記のようになってしまいます。